2011年3月27日日曜日

八潮の花桃見物


より大きな地図で なかがわ八潮フラワーパーク を表示

八潮フラワーパークへ行きました。(流山橋から5.9km)
花桃まつりは中止となりましたが、花桃を観ることはできます。
満開をやや過ぎた感がありますが良い気分転換になりました。
花桃のそばには菜の花が咲いています。
下手の横好きですが毎度のごとく写真をアップ。
中川と江戸川にはもっと橋が欲しいです。









2011年3月12日土曜日

地震

今回の地震で会社から自宅まで歩いて帰ることになりました。
道のりは15kmちょうどです。国道を歩かず自転車で通勤するルートを歩きました。地元の人しか通らないような道です。スーツで通勤する必要がない事も幸いし登山以来の歩きとなりました。明るいうちに距離を稼ぎ薄暗くなった頃に自宅に到着。

それにしても、軽くみていた地震の揺れが徐々に大きくなったと思ったらちょっと弱くなりさらに強い揺れがやってくるという「もうやめてくれ」と言いたくなるような揺れでした。検討中だった試作品もやり直しです。(クソっ)

震災前の仙台空港付近 仙台湾上空より
テレビで情報を得ている方も多くいると思いますが、殆ど地震と津波の惨状を繰り返し放送しています。その惨状は事実でありますが、同じようなシーンを何遍も見るべき(みせる)ものではないと思います。繰り返し見る事で日本全体が同じ状況に見えてきたりします。テロップをよく見ていないとほかの地域も津波に襲われているように見えました。テロップをじっくり見る事で正しく情報を得ようとしますが、じっくり見てしまう事で視聴時間も長くなりました。

テレビでは惨状ばかりですが(ラジオ)ニッポン放送ではラジオとネットで状況が改善されたことなどを放送しています。ニッポン放送は阪神大震災の時に評判が高かったそうです。10年以上前の事ですので評価は変わっているかもしれませんがテレビよりおすすめです。

自宅にいると地震計が拾いにくい小さな縦揺れなどが断続的に続いているようでイライラするので夕方前から散歩に出ました。花や鳥を見たり、近所の様子を見て回りました。瓦が少し落ちていたりするところもありましたが倒壊している住宅は見当たりません。そうしていると地震が来た事を忘れてしまいそうです。

我が家の猫は留守中に箱などが落下してきたり食器が落ちて割れるなどを体験したせいか、ピアノの陰に隠れていました。恐怖を体験下であろう部屋に入りたがりません。かわいそうなことに、ちょっと腰が引けているか緊張のあまり走り回っています。

何が言いたいのかわからなくなってきましたが、この震災を乗り切ろう。

2011年3月5日土曜日

偕楽園

自宅より旧水戸街道とその宿場町を辿って(102km)日本三名園の一つ偕楽園に到着。土浦でのハプニングと花粉応急処置と何よりの貧脚で到着が遅れに遅れて夕方になりました。下手の横好きですが、梅の写真がいっぱいです。(苦笑)

偕楽園 概要

市街地から桜川サイクリングロードは千波湖を経由して偕楽園に続いています。
桜川サイクリングロード
左が千波湖、右側には桜川が流れています
こんもりしているところが偕楽園 東門を目指す
偕楽園(茨城県営公園オフィシャルサイト)によると当日は5割咲きでした。
昨年は10日頃満開。
いよいよ梅園へ
品種だけでなく樹形も様々

辺りは梅の花の香りが漂う

好文亭からの眺め



千波湖と桜川 夕日が沈む
帰りは水戸駅から輪行です。睡魔に襲われ気付いたら柏でした。
今回は偕楽園だけでしたが、水戸周辺には史跡や海(15kmくらい)があったり沼があったりと見所が多くサイクリングに向いていそうです。
売店で梅の盆栽が売られていました。ちょっと欲しかったかも。
そういえば、納豆を買い忘れました。

2011年3月4日金曜日

旧水戸街道 柏から水戸へ


より大きな地図で 水戸街道 を表示
赤線はGPSログです。道を間違えた場所もありますが旧水戸街道を走りました。
水戸側分のログが表示されませんが写真を減らさないと表示できないので放置しています。(竹原宿付近は6号線が正)

水戸街道 宿場町 の位置

とある水曜日に偕楽園に行く予定を立てました。
「偕楽園の梅」が目的なので最短ルートか交通量の少ないポタリングしやすそうな道を何通りか設定しました。
しかし、最短でも約82kmあり山岳地と比べて起伏も無く景色の変化が少ない平地の林や田畑ばかりではさすがに退屈です。
航空写真をgoogle mapで見ていると宿場町が残っている事に気づきました。
それは国道6号線が宿場町の中を避け平行するように通っており、旧宿場付近は交通量も少なそうです。古い建物が残っていることも十分期待できたので旧水戸街道を走る事にしました。といっても見所を調べるには時間が足りません。
そこで、木曜日に 新編 旧水戸街道繁盛記 を近所の書店で購入しました。(大手書店やweb通販では品切れか関西方面の在庫で郵送が間に合わないので近所の本屋に問い合わせ) 関東から遠いほど在庫があるというのも面白いです。
ジュンク堂の取り寄せは2011年2月26日現在、数点ありました。

当日、夜の強風も収まり朝から天候もよくポタにはちょうど良い気温でした。
戻らずに自宅から行ける5番目の我孫子宿からです。
写真も写していますが、詳しく見ている時間は無かったのでこんな風景が残っているんだ程度に楽しみました。走行距離は102kmでした。

洪水の出やすい大きな湿地帯や河川では川などに平行するように宿場がありました。旧街道には曲がり道が多いところがありますができるだけ足場の良い高台と高台を結ぶようなルートになっていました。

<水戸街道の宿場>
江戸から順に千住、新宿(にいじゅく)、松戸、小金、我孫子、取手、藤代、若柴、牛久、荒川沖、中村、土浦、中貫、稲吉、府中、竹原、片倉、小幡、長岡、水戸の20カ所です。

<我孫子宿付近>
我孫子宿 道路が拡幅され殆ど古い建物が残っていない
我孫子 旧街道沿いの藁葺き家屋
踏切に残る 浜街道(水戸街道)

<取手宿付近>
取手の古民家
取手宿には数軒の古民家が残っています。本陣もあるのですが、ゆっくり見ている暇はありませんし、朝早すぎて見学はできません。

<藤代宿>

集落の出入口付近には神社やお寺が大抵あります

<若柴宿>

若柴宿の案内

<牛久宿>
明治天皇牛久行在所


<荒川沖宿>



<中村宿>


<土浦宿>

土浦は都市化が進んで古い建物が無いと思っていたのでびっくりしました。
かつては川越から視察に来ていた程だそうです。今では川越の古い町並みの方が有名ですね。
近頃は残っている民家などを保存したりするなどしているそうです。

ここで自転車のライトのブラケットが金属疲労による破断というハプニングに気づく。持ち合わせていない工具が必要だったので仏壇屋さんにお願いして工具を借りて取り外した。新しいブラケットの購入とケーブルをいじるだけなのでお金は大してかからない。

松並木 水戸街道で残っているのはここだけ

<中貫宿>
中貫宿本陣

<稲吉宿>
稲吉宿本陣

<府中宿(石岡)>
江戸時代、明治〜昭和時代

大谷石でできた倉
石岡には江戸時代から昭和初期と思われる建物が多く残っています。
江戸、明治〜昭和初期の建物は見ていて飽きない。形状はもちろん材質を変えたり、仕上げを変えたりと見所が多い。
常陸國總社宮例大祭は「石岡のおまつり」として知られています。


<竹原宿>


<片倉宿>

かどや旅館

<小幡宿>



<長岡宿>



<水戸宿>
水戸の市街地は戦災で古い建物は残っていない。水戸宿のあった通りはハミングロードと呼ばれている・・・。
慶長15年(1610年)関東郡代伊奈備前守忠次によって開削された備前掘にかかる銷魂橋(たまげばし)が江戸街道起点となっている。
備前堀

銷魂橋(たまげばし)のたもと

水戸宿はこの通り
現在はハミングロードというらしい

途中、体が花粉に耐えきれなくなり鼻を垂れつつ眼を赤くして涙を流しながら頭痛を抱えて走るという醜態を晒す。石岡を過ぎた辺りのドラッグストアでアレルギー薬と頭痛止めを購入。あまりにも悲惨に見えたのか店員さんはマスクの非売品を沢山くれた。アレルギー薬のみ服用する際に喉の痛みにも気付く。喉は魚の骨でも刺さったような痛みだった。服用すると30分以内に花粉症の症状と頭痛が収まった。